責任の重さ
急に何かが気にある時がある。
例えば、なぜ、小学生の頃、友達に「お前の母ちゃんでべそ」
と、からかっていたのかとか?
なぜ、それが母ちゃんだったのか?
しかも、こだわったのが「でべそ」。
もっと違うところ、例えば「お前の母ちゃん太っちょ」とか。
でも、よく考えると、それにすると、本当の事になったりするから、
言われた子供も傷つくし、その友達にも言い返せない。
ところが、でべそだったら、「へ〜んだ、お前の母ちゃんだって
でべそじゃねーか」と言い返せる。
実際は、相手のお母さんのへそなんか、見た事がないんだから。
ただ、「お前の母ちゃんでべそ」とからかって、顔、真っ赤にして
怒り出す友達がいたら、それは「当たってた」って事なので、用心
しないといけない。
その友達は、その日以降、家に帰っても、母ちゃんとは、「でべそ
不仲」になるからだ。
疑う余地もなく、「いつ、友達は母ちゃんのへそを見たんだろう?」
「自分だけの母ちゃんのへそなのに」...と悩み始める。
その責任は重い。